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キーボーディスト列伝1セロニアス・モンク

August 19, 2014
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セロニアスモンク

セロニアスモンク 出典:wikipedia

どうもtcmです。

世界中の偉大なキーボーディスト達からキーボードの何たるかを学ばせていただく「キーボーディスト列伝」

第1回はジャズ界の奇才、セロニアス・モンク師匠です。

セロニアス・モンク

wikipediaからモンク師匠のプロフィールを抜粋します。

セロニアス・スフィア・モンク(Thelonious Sphere Monk、1917年10月10日 – 1982年2月17日)は、アメリカジャズピアニストであり、即興演奏における独特のスタイルと、数多くのスタンダード・ナンバーの作曲で知られる。

彼の人生の初期については、殆ど知られていない。ノースカロライナ州ロッキーマウントに生まれ、その後間もなく、彼の家族はニューヨークへ移り住んだ。6歳の時にピアノの演奏を始め、多少の正式なレッスンを受けてはいたが、本質的には独学と思われる。

出典:wikipedia

ちょ、こんなに弾けて独学ですか(汗)

でも確かにピアノを弾く指が完全に寝ていたり、独特なリズムの取り方をしていたりと、クラシックあがりのピアニストとはちょっと違う感じがします。

20代から活動を開始

40年代初頭より、ジャズ・ピアニストとしての活動を始める。彼の演奏スタイルは、この頃は「ハード・スウィンギング」と呼ばれる類いのもので、 アート・テイタム(Art Tatum) のスタイルに近かった。

出典:wikipedia

20代頃から活動を始めてたんですねー。

ところでアート・テイタムとは誰?と思い調べてみました。この人もまた天才ですね。

アート・テイタム(Art Tatum、1909年10月13日1956年11月5日)は、アメリカ合衆国ジャズピアニスト視覚障害者でありながら超絶技巧を誇り、様々なジャンルのピアニストに影響を与えた。

出典:wikipedia

え、ところどころ連弾に聴こえるんですが(笑)恐るべし。アート・テイタム師匠。

また別の機会に、しっかり聴きたいですね。話をモンク師匠に戻します。

双極性障害で苦しむ

1944年にモンクは、自身の最初のスタジオ録音を コールマン・ホーキンス・カルテット(Coleman Hawkins Quartet) と共に行っている。1947年にネリー・スミス(Nellie Smith) と結婚し、同じ年に彼のバンド・リーダーとしての初めての録音がなされた。1950年代1960年代を通して、モンクは巡業と録音とをこなした。1970年代の始めからは、舞台から姿を消した。1971年11月に彼の最後の録音が行われ、彼の生涯の最後の10年間はごく数回の演奏が行われたのみである。幾つかの情報源によれば、モンクは双極性障害(躁鬱病)に苦しんでいたという。

出典:wikipedia

そういえば私はむかしモンク師匠のDVDを観たことがあります。

確かストレート・ノー・チェイサー

この映像の中で、モンク師匠がキューピーちゃんのようなポーズをとりながら、ひたすらぐるぐる回っていたのを記憶しています…。ファンキーな人だったんだなという印象を受けたんですが、躁鬱病だったとは…。

チャーミングな帽子も個性的です。

マイルスとの喧嘩セッション

ところで、モンク師匠はかの有名なマイルス・デイビスともセッションを行っています。

俗にいう「喧嘩セッション」というやつです。

1954年12月24日、プレスティッジ・レコードからの要請でマイルス・デイヴィスのレコーディングに参加するが、音楽性の違いからマイルスと対立したという説が流れた。アルバム『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』収録の「ザ・マン・アイ・ラヴ(テイク2)」では、モンクがピアノ・ソロを途中で止め、それに対して怒ったマイルスが自分の出番でもないのにトランペットを鳴らすという、緊張感のあるやり取りが録音された。当然のことながらマイルスとモンクは二度と一緒にレコーディングしなかったものの(翌55年のニューポート・ジャズ・フェスティバルにて競演)、マイルスはモンクの作曲能力を認めた上でアルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』『マイルストーンズ』でモンクの曲を取り上げた、とされる。

出典:wikipedia

確かに5:30頃からモンク師匠が弾かず、途中でマイルスが割り込んでいたりします。

ジャズにはこんな楽しみかたもあるんですねー。

ところでこの喧嘩セッションは、実はそんなに喧嘩ってほど揉めていなかったという説もあります。

マイルスの自伝に書かれているので、こっちが正しいっぽい。

上記の共演は後に「喧嘩セッション」と呼ばれ、誰と共演しようが自分を曲げないモンクらしいエピソードとして受容されていた。だが、実際にはマイルスが後年自伝の『マイルス・デイビス自叙伝 I 』で記した通り、和声のボイシングに違和感を覚えたため「自分のソロの最中はピアノを弾かないでくれ」と指示し、モンクがそれを了承しただけであり、現在はその事がミュージシャンや評論家達の間で曲解された結果として生まれたデマであるとする見方が強い。同書においてマイルスは曲作りにおいて大いに勉強をさせてもらい、また、その演奏も「間」の取り方や不思議なコードに感動し、大いに影響を受けたと語っている。

出典:wikipedia

マイルスが勉強をさせてもらったと言うくらい、素晴らしい作曲の才能を持っていたモンク師匠。

そして何よりマイルスが和声のボイシングに違和感を覚えるということは、それだけ師匠のボイシングが独特ということ。

リズムの取り方やボイシングだけでも個性を発揮してしまうモンク師匠……まさに奇才です。

1982年 脳梗塞で死去

1982年脳梗塞で亡くなり、ニューヨーク州 ハーツデイル(Hartsdale) にある、ファーンクリフ墓地(Ferncliff Cemetery)に埋葬された。

出典:wikipedia

コレがラストライブの音源みたいです。まるでピアノが歌っているようなソロです。

こんなに自由にアドリブソロが弾けたら楽しいだろうなー。

最後にモンク師匠の残してくれた名言を紹介します。

「天才とは、どんな状況でも自分を貫き通す人間だ。」

今日モンク師匠から学んだこと。

・ボイシング、リズムの取り方などでも強烈な個性を出せる(私ボイシングとかあまり意識したことなかったなー;)

・ピアノは独学でも十分弾ける(とっても勇気づけられます)

・「天才とは、どんな状況でも自分を貫き通す人間だ」(逆に言えば自分がなければ天才じゃないってことか。今までミュージシャンとしての自分って考えたことなかった…。)

モンク師匠、ありがとうございました!

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